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2013年10月06日(Sun)

原発のない未来が想像されてる現場で、想像されていないもの。

今回の記事は、デモ情報更新を休止する前からずっと書き続けているのですが、なかなかまとめることが出来ず、きりがないので公開してしまいます。これから、とりあえず溜まっているものを片付けていきますが、休止しているデモ情報以外に、皆さんに有益な内容を発信できるよう頑張っていきますので、引き続きよろしくお願い致します。

では本題へ。

*

以前このような記事を書きました。

連載『脱原発系デモ情報を集めていて気になること』◇3◇
◆デモに参加したくでも出来ない人もいる◆
http://demojhks.seesaa.net/article/357769388.html


大雑把に言えば、自分とは違う人の事情を想像してくれ、ということですが、この時は個人攻撃になってしまうので、詳しくは書きませんでした。

そして、このことを語るのに丁度良いツイートに偶然出会ったので紹介しました。すぐにコメントへの返事をしたかったのですが、もう何ヶ月も経ってしまいました…

脱原発デモに若者が少ないことについての、ある若者の意見。
http://demojhks.seesaa.net/article/366575931.html


これに対して感想、意見を頂きました。間接的なものも出来る限り見ました。その結果、予想以上に我々の抱える問題が浮き彫りになったように私は感じました。

今まで、とにかく情報を拡散しようというアカウントの性質上、あまり私情をはさまずに情報を集めることに徹してきましたが、私には運動が目標から遠ざかっているようにしか思えず、そしてその原因は、内部にある問題が大きいという思いが日々強くなっています。
私はただネットでデモに関する情報を多く見ているというだけで、何の答えも持っていませんが、素直な意見をここに記します。

*

まず、私は「脱原発デモに若者が少ないことについての、ある若者の意見。」の彼の言うことを全面的に支持したから紹介したわけじゃありません。こういう見方をしている人がいるということを知って欲しくて載せたました。ツイッターでも批判的な意見をリツイートすると、その意見に賛同してると思われてしまいますが、どう見られているかということはとても大事だと思うので、批判も含めて知っておきたいし、みなさんにも知っておいて欲しいのです。
さらに、若者全体の代表意見だと言っているわけでもありません。だからわざわざ「ある若者」と書きました。
一つ失敗したのは、「ある若者」の意見だけでなく、それを聞いてツイートした人の意見も最後に入れてしまったことですね。文章を読む時には読んでる場所に一番近い部分に引っ張られてしまうというのは、小学校で習ったのに忘れていました。この記事に噛み付いた人は、ツイート主の意見に対してが多かったように思います。しかしツイート主は「ある若者」とはちょっと違うことを言っているんですよね。

*

さて本題に入ります。

抗議集会のスピーチなどで、「脱原発が決定して、安全確保のためにだったら電気料金が上ってもいい」というようなことを言う人がいます。しかし、電気料金が少しでも上がると困る人たちがいます。このようなことを言った瞬間に、「ああ、お金のある人はいいよな」と思われてしまう可能性があります。
デモに対して年がら年中、中傷ばかりしている"反・反原発"と言われる人たちに対して「友達も恋人も子どももいない寂しい奴らなんだろ」と言ってるのも見たことがあります。脱原発仲間しか仲良くさせてもらってる人がいない私は、こんな心無い言葉に傷つきながら活動をしなきゃなりません。

どうしてこういうことを言ってしまうのか…

人間は、物事を本当の意味で理解するためには、自分の中にある材料を使わないと出来ません。これは、どんな人でもそうです。しかし、自分の中にないものが世の中にはある、ということを想定しているかどうかで大きく違いが出てきます。

「デモを主催するのは、時間もお金も労力もかかって大変だけど、参加する方は交通費くらいしかかからないのになぜ来ないんだ」というツイートを見たことがあるのですが、生活のために余った時間がない人や、交通費が苦しくて参加できない人のことを少しでも想像してみたのか?と言いたいです。しかも交通費って、場所によって全然違うのに、いったいいくらかかることを想定してるんだろうか。

このような言葉は、自分が交通費で苦労してたら出てきません。余裕はないけど他を削って交通費に充ててる人なら、また違う言い方をするでしょう。つまりこの人にとっては、交通費程度は大した金額じゃないんです。交通費が苦しくて参加できない人よりは、お金も時間もあるんです。別にお金のない人を責めてるつもりはないんでしょうけど、そのように受け止められる可能性が充分にあります。

先に挙げた若者の意見は、これとよく似ています。
「交通費が苦しくて参加できない」って言っている人に、「誰だって苦しい中でやっているんだ」とか、「時間は自分で作るんだ」とか反論が返ってきちゃったというような状況ですね。この若者が自分で思い込みに捉われてるみたいに言われてるけど、そう言ってる人もまた自分の世界から外が見えていないのです。こういうことになりそうだと思ったから冒頭に「細かいところまで注意深く読んでみてください」と書いたのに。

彼は、「時間もお金も余裕があるからデモやってるんだろ」と言ってるわけじゃありません。過去に反原発活動をしている人に直接責められた経験を持ちながら、冷静に状況を捉えた発言をしています。

「俺が人事の話聞いて頷いている間に太鼓叩いて行進できるぐらいには金と時間を持ってるんだよ。」
と言っているんです。

「できるくらいには」
です。

確かにこれは数字だけの問題で考えると、この若者もたまのデモくらい行けなくもないかもしれません。その気があれば。しかし、一連のツイートだけでは、彼が原発に関してどういう考え方をしているのかはわかりません。何らかの活動をしていてもデモは否定する人だっていますし。仮に脱原発を望んでいるんだとしたら、デモに参加することは優先順位が低いんでしょう。自分の将来のための行動に比べて。

と、言うと、原発だって自分の将来に関わる問題だ〜、って返ってきそうですが、いつ起こるかわからない事故と比べて、確実に迫り来る近い将来の生活の方が重要事項であっても全く責められるものではありません。怪我でもして、いつ収入がなくなるかわからないから、今ご飯食べるのやめておこう、って言って飢え死にしたら無意味です。もちろんこれは極端な話ですが、これは比較の問題なのです。デモに行くか、他のことをするか。どちらがその人にとってより重要な課題であるかという話です。飢え死に覚悟でデモに行くことこそが、「覇気がある」ということなのでしょうか?

だいたい「覇気がない」とはどういうつもりで言っているのでしょう。原発をなくしたいけど声を上げられないのか、原発はどうでもいいのか、むしろ推進なのか。参加してない人の気持ちなんてわからないのに、若者の参加者が少ないからと言って「覇気がない」というのは、原発に対して自分と同じように考えるのが当たり前だという独善的な考え方ですよね。

さらに、物凄く原発を無くしたい気持ちはあるけど、なんかデモをする力が出ない人なんかがいたとしても、そういう人に対して「今の若者は覇気がない」と言ったら来るんですかね?私は大抵の人が反感を持つと思います。こう言うと、「そう言われて反感を持つようでは駄目だ」とか言う人も出てきそうですが…。根性論を言っても駄目なんですよ。結果的に来なかったら意味がないんだから。

一応説明しておきますけど、「デモは人数じゃない」という意見がありますが、それは、気持ちもない人をただ頭数として集めても駄目という意味で、気持ちがある人が集まるのなら、数は多い方がいいのは間違いないです。

私だってこの危機的状況をどうしたらいいかわかりませんけど、自分の一挙手一投足がどういう方向を向いているか、理想に近づくと思える状態になっているかを常に振り返って下さい。もちろん正解がないので間違える可能性もありますが、常に振り返るという行為は暴走を止めると私は思います。

posted by 脱原発系管理人 at 22:38 | Comment(9) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
脱原発や推進のどちらかの話になると、感情論になる方が多いですよね。どちらにもメリット、デメリットはありますよ。しかし大概は本筋からずれてきて結局話し合いにならず、自分の意見を押し付けたいだけになってます。
あったからこそ幸せになった方、その逆の方々もいますから、政治家や国の方々には一時的なもので判断してほしくないですよね。今こうやって使ってるインターネットも元々はアメリカ軍事のものでしたからね。
車にしても上手く使えば便利、暴走したら凶器です。しなくても環境にはどうかなと思いますけどね。
結局みんながちゃんと考えて、自己の意見が絶対と思わないことです
Posted by さかな at 2013年10月10日 12:18
■さかなさんへ
コメントありがとうございます。
感情論になる人多いですか?結論がでていないことや、専門家と言われる人たちの様々な意見の中で、信用している説が違うということが大きいと思います。なのに自分の信じている説こそが正しい、という主張の仕方をしても反発されるだけですからね。
真っ向からぶつかる意見の人とも建設的な議論ができるといいのですが、まあそれ以前に、脱原発の中で破壊的ですからね。こんなことでは駄目でしょうね。
Posted by 脱原発系管理人 at 2013年10月10日 23:15
そこなんですよ。自分が信じてる説が正しいと思い込んでる人間がどれだけ多いことか。
誰一人原発についてまともに回答した人間いませんよ。原発はあってもなくても被害者でます。結局責任取らない、取れない人間がどっかの差別的デモみたいなことと同様の事をしてますね。
Posted by さかな at 2013年10月18日 10:39
小さい子供がいます。
毎日デモがうるさくて本当に困ってます。
替え歌を歌ったりしているようですが必要なことですか?

本当に迷惑です。
Posted by はあ at 2013年10月18日 18:17
■さかなさんへ
もちろん、正しいと思うから信じてるわけですけどね、間違っている可能性を排除しちゃ駄目ですね。
「原発についてまともに回答した人間いない」って、いったいどのような人に、何を聞いたかわからないのでなんとも言えません。
「原発はあってもなくても被害者でます」←これはどういう意味でしょうか?

■はあさんへ
コメントありがとうございます。

ご迷惑おかけしております。
もし差し支えなければ、いつ、どこのデモのことかを教えて頂ければ、連絡先を教えるか、あるいは私が代行して声をお伝えしますが、プライバシーの問題もありますので、希望としては、直接苦情を出していただきたいというのが正直な気持ちです。大きな音を立てるわけですから、うるさいという正当な苦情にはきちんと対応しないといけないと思うので、遠慮なく文句を言っていただきたいです。
法律違反がなければデモをするのも自由、それに苦情を出すのも自由、という社会にしたいと私は思います。
替え歌に関しては、デモ参加者の中でも賛否ありまして、私個人の意見を言っても意味が無いです。しかし、替え歌を歌っている人は、ふざけてるわけじゃなくて必要だと思ってやっていると思います。
Posted by 脱原発系管理人 at 2013年10月18日 21:51
管理人さんの意見に賛成です。
自分も脱原発派の人間ですが、埼玉在住で都内への往復交通費が二千円位でも、薄給で一カ月食い繋ぐことを考えたら残念ながら支出できません。
それを『覇気が無い!』等と責められたら居た堪れない気持ちになります。

更にデモ自体に関しても、趣旨に賛同する自分的には街角の行進を見て『頑張ってるなぁ』と思う反面、このデモによって却って反感を持つ人達もいるかもしれないという危惧を持っていました。
自分達を鼓舞したり意見をアピールしたりするための太鼓やシュプレヒコールが、近隣住民にとって騒音に感じられてしまったり、都心の道路を長い列が横断するために渋滞を作ってしまったら、『良い事』のために行なっているデモが『悪者』になってしまいかねません。

デモンストレーションというのは、賛同する人達はもちろん、その意見に興味を持ってない人や反対する人達の心にも響くものでないと意味がないと思います。(理想論だというのは重々承知ですが…)

とにかく、他者の立場や気持ちを慮ることは、非常に大切だなぁと強く感じました。

長文駄文、大変失礼いたしました。
Posted by あいこん。 at 2016年04月17日 08:37
■あいこん。さんへ
コメントありがとうございます。

私の場合は自分が参加しているデモでも、「うるさいなぁ…」と感じることがあります。でもそんなの個々の感想なので、別に文句言ったりしませんけどね。

あと、「良い事」とか「悪者」とかとは違うと思うんですよね。国民全員が望むのなら原発もありだと思ってやってます。あくまでも、自分は原発のない社会にしたい、という主張をしてるつもりです。しかし、日本では、まず個人が主張すること自体が悪いこととされているので、どんな内容であっても嫌われるのでしょう。とりあえず、余計な反感を買わないように気を付けることくらいしかできないのかもしれませんね。
問題はそっちより、同じ脱原発運動をしている人たちの間で起こるいざこざの方が問題あると思いますね。こんなに相手のことを想像できない、会話が出来ない人たちの集まりで、いったい何の力が発揮できるのだろうか、と思うことも多いです。偉そうですが。
Posted by 脱原発系管理人 at 2016年04月17日 21:29
一部同意します。
人間は悲しいかな経験の枠と知識の量を超えて発想する事はできません。
インプットされていないデータについて関与できないのは、パソコンと同じかもしれません。
しかし、そればかり言ってもしょうがない。
できるのは、経験と知識の量を増やすということでしょう。
行動し、読書するということではないでしょうか?

「ながめる」だけでは、そこにあるデータの枠からしか発想できなくなります。
マイクロソフトの人工知能が人種差別発言を多発してしまったという例にもあらわれています。

私たち自身が、経験と知識の量を増やして、ポジティブなデータを流し続け、
それを眺める人々の判断につねに働きかけるということを倦まず弛まずあきらめず
やり続けるということが大切な事なのです。
経験と知識の量は当然違いがあるのですから、すべての人がそれを理解できるとはかぎりません。
誹謗中傷もあるでしょう。誤解もあるでしょう。もちろん、こちらの誤りもあるでしょう。
しかし、それもまた経験であり知識になります。
また、経験と知識を増やそうという方向に、多くの人々を促すような関わりも必要でしょう。
ツイッターやブログは、その一つの手段ともなります。
そして何よりも、自ら行動する事、ともに同じ場所に立つ事、それらこそが、眺めるだけでは
わからない豊富な内容を獲得することができるだろうと思います。
様々な条件で「同じ場所に立つ」ことができなければ、自分の条件にあった闘いをして、
それをネットや様々な方法で共有する事も可能です。
ツイッターには、1人プラカードを掲げて「スタンディング」をしているという投稿もあります。
そういう力が人間にはあるということでしょう。
「いざこざ」など実は大きな流れの中ではたいしたことはないし、日常茶飯事です。
それもまたスパイス、程度にうけとめることが必要ではないでしょうか?

Posted by mamekiri at 2016年05月27日 03:14
■mamekiriさんへ

コメントありがとうございます。

世の中に存在する全ての経験、知識を網羅することは不可能なので、誰にでも「知らないこと」があります。でも、全てを知っているかのように話す人が多いので、自分には知らないことがあるということを自覚することが大事だということを書きました。

それは、別に原発や法律の知識だけではなく、今やっている手法が本当に効果があるのか。あったとして、ではよりいい方法はないのだろうか。そういう意識を持つことも重要だと思います。それだってまだ知らない良い方法があるのかもしれません。現時点でどういう行動をとるかとはまた別にですね。

どうも私は悲観的なんですかね。全体的に良い方向に進んでるとは全く思えないんですよ。気軽にデモや抗議をする人が増えた(ように見える)のは良いことだと思いますが、それは良い部分もある、という程度にしか感じていません。全体的に総合してみた場合、どうなんでしょう、私には絶望的な状況は変わらないようにしか見えていません。
脱原発デモの初期から色んな人と関わってきて、どんどん分断と仲たがいが増えていってると私は感じたので、全体の中の小さな出来事とは全く思えないんです。そして、その原因が、経験や知識などではなく、コミュニケーションの問題であることがほとんどのように思えます。政治や原発、戦争などの知識が増えても、また現場において同志と思われる人々とただ会う機会がいくらあっても、コミュニケーションの問題は解決しません。

とはいえ、私は人付き合いがめちゃくちゃ下手なので、かなり的外れなことを言っている可能性もあります。そういう意味でも絶望的です。
Posted by 脱原発系管理人 at 2016年05月29日 16:26
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