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2014年03月19日(Wed)

脱原発を本気で望む人の数、足りてるの?

ご無沙汰してました。デモ情報収集休止中の管理人、自動です。

山のように書きたいことがあるのにうまくまとめられないなぁ、と困っていたらもう3月になってしまい、windowsXPユーザーの私は、どうしようかと焦りつつ、酷い風邪で寝込んでいたらこんなに時間が経ってしまいました。

それはさておき。

都知事選にからめて書こうと思ってたんですが、もたもたしている間に3.11、東日本大震災の日がまた訪れ、同様の問題がまた目立ちはじめました。

みんななんでそんなに余裕があるの?

*

都知事選の投票日前にこんな記事を書きました。

「脱原発舛添票」はあるよ!http://demojhks.seesaa.net/article/386272877.html

一番有力な候補は圧倒的に舛添氏なのに、なぜか脱原発を訴える候補から奪おうとしてる人たちを見て本当に疑問でした。冷静に東京の脱原発基礎票がこのくらい…と分析してる人も、その基礎票の取り合いに注力していました。その数では勝てないのに。

このようなことは脱原発運動の中ではずっと行われています。

選挙結果からもわかるように、絶対的に人数が足りていないのは明らかですよね。

なのに仲間を減らそうとする人が多い。

「数じゃない」ってよく言われますけど、それって、中身の伴わない、つまりその気もない人に頼んで集まってもらっても駄目というようなことで、人数が少なくてもいいという意味じゃないです。少なくてもいいなら、一人で運動すればいいんです。


◆どこを目指してるの?

意見の合わない者を、排除しようとしたり中傷したり、そういう目に余る行為に私はたまに文句を言うのですが、そうすると、「批判をしてはいけないのか?」とか、「意見が合うものだけで集まりたいのか?」とか言われます。

そんなことは一言も言っていません。

その先に何を見据えているのか?ということを聞いてるんです。

そもそも人数が足りてないという状況において、同じ脱原発運動をしている貴重な存在に対して、今後どのような関係を構築すればいいと考えているのか。単に仲良くしようって言ってるんじゃありません。

考え方は様々あるし、誰も正解はわからないんだから、意見はどんどんぶつけたらいい。でも、それは、あくまでも「理解し合う」という目標が前提でなければならない。「理解」というのは、同意という意味ではなく、少なくともそれぞれがどういう思いで主張しているかを把握するということです。「脱原発」という同じ目標に向かっているはずなんだから。

現実は酷いもので、「あいつは頭がおかしい」とか「実は脱原発を壊すための工作員だ」とか言っている人を、よく見ます。そういう人だらけです。


そんなこと言って何か解決するんですか?


「頭がおかしい」と言ったら、その人は「そうか自分は頭がおかしいのか。改めなければ」と思うのでしょうか?
「工作員だ」と言ったら、「ばれたか!」と言っていなくなるのでしょうか?


そんなことばかりやってるから、ああ余裕あるんだなぁ〜、と思ってしまうんです。

人数は有り余っていて、今やってることだけで必ず脱原発が実現すると思っているんでしょうか。


なんども繰り返し言ってますが、自分が言われたらどう思うかを少しは想像して欲しいです。
自分が言おうとしていることを、自分が言われたらどう思うか。
それで自分の心は動くだろうか、と。


◆脱原発運動内部だけの話ではない

いわゆる、「反反原発」と言われるような、運動を批判する人たちに対しても同じことなんです。いくら今酷いことを言っていたとしても、出来たらこっちの言い分を理解してもらって仲間にしたいじゃないですか。だって人数足りないんだもの。
「うるせー黙れ!」と言ったって黙るわけないんだし、相手にしなきゃいいと思ってるうちにあっちはあっちで仲間を増やしてたりします。明らかな嘘があれば正せばいいし、罵ってきたら会話をするチャンスだと思えばいい。

いきなり噛みついてきた人に対して丁寧に返してると、数回のやりとりのうちに口調が丁寧に変わることもあるし、話してみたら脱原発に変わった人もいますよ。
我々のことをデマに翻弄されて現実が見えてない人たちだと思っている人も多いですから、そうではないということを知ってもらうだけでも大きな価値があると思います。

腹も立つし、この現実を見てそんな考え方なの?と呆れることもあるかもしれませんが、単に情報が足りてなかったりするだけの人もいるんです。全く関心がない人に比べたらずっと我々に近いところにいるんです。

で、繰り返しますが、その先に何を見据えているのか?ということです。

いずれ手をつなげたらいいな、と思いませんか?

全てを飲み込んで手をつなげと言っているんじゃないんです。時間がかかっても、納得して手をつなげるようになれたらいいじゃないですか。直接的にそこに繋がる行動はとれなくても、最終的には手をつなごうという目標を設定しておけばいいんです。罵り返したり、無視したり、排除するのは、逆方向を向いているんです。

最初から、「あんな奴は駄目だ」と諦めてしまってるんです。


都知事選の後で「ノーサイド」と言う人に対して怒ってる人もいて、それを言う人によっては怒るのも理解できます。そこまでに起きたことを全てなしにして、今この瞬間からノーサイドとするのは難しいかもしれません。しかし、私は最終的にノーサイドを目指しましょう、と言います。それは決して責任逃れをすることじゃないし、なかったことにすることでもない。目標を設定するんです。


◆分断の原因なすりつけ

分断というのは意見が割れた時に出来るのではなく、線を引いた時に出来るのです。

いくら意見をぶつけていても、どうしたら良くなるか、どうしたら手を繋げるかという視点で争っているうちは分断じゃない。

「お前のあの行動のせいで分断が起きた!」なんて言ってる人も見かけますが、自分はあいつとは違う、と線を引いた時に分断が起きるんです。何が問題かをちゃんと向き合って話したらそれは分断じゃなくて仲間内の議論です。

意見をぶつけ合った結果、やっぱり一緒にやれないね、と言うことになることもあるでしょう。それならそれでせめて邪魔をしない、お互いを尊重するという道もある。相手のやることが脱原発にとってマイナスだと思うのなら諦めずにそこを理解させる努力を続ければいい。
良い物を求めての話し合いか、自分の正しさを証明しようとしているだけか。正しくないものを排除しようという考えで争っていると外から見ても醜く映ります。少数の、意見のぶつからない人たちを固めてる場合なんでしょうか。こんなに人が足りないというのに、固めて何かいいことでもあるんですか?

少数でも結束を高めたら、投票した時に一人二票にでもなりますか?

間違った判断をしていると思う相手を悪く言っても何も変わりません。散々話したのに伝わらなかったのであれば、接し方を変えてみるなどしてみる必要がある。相手が悪いと思ってもです。自分の言い分が伝わらないのは、相手に原因があると思ったら、そんな人にも伝わる言い方を考えるんです。状況を改善するために出来ることはそれなんです。それしかないのに、罵ったり謝罪を求めたり無視したり…

なんでそんなに仲間を減らしたいんですか?

なんでそんなに余裕があるんですか?


このような文章をもう少し優しさ溢れる書き方が出来ないところが私の駄目なところです。これではきっと伝わらない人の方が多いだろうな…と思ってます。でも今の能力ではいつまでたっても完成させられません。不完全なままぶつけることで、一人にでも、少しでも伝わればいいなと思っています。

是非、ご意見ください。

posted by 脱原発系管理人 at 23:31 | Comment(11) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
分断を誘導するのは、敵の常套手段なのではないでしょうか。
悔しいことが多いです。
なんで手をつなげないのか、なんで対抗するのか。
でも、そうこう言っているうちに、味方がバラバラに増えている実感もあります。
いつか急に団結して、一気に敵をやっつける日も来るような気がします。
我々が生きているうちはダメかも知れませんが、いつかは原発はなくなります。
危険で損で厄介だから。
1日でも早く、その日が来ることを願って、できる限りのことはしますが、敵も自分の利益のために向かって来ます。
一気にはいかないです。
戦いが長引く覚悟をしなければ、、、辛いですね。
Posted by キョロ子 at 2014年03月21日 02:15
■キョロ子さんへ

確かに分断をさせる攻撃もされていますが、ほとんどは自滅ではないかと思っています。どっちにしてもはっきり攻撃だとわかればそっちを叩けばいいですが、わからない以上、分断させられないようにするしかないでしょう。結果的に、自滅も防げます。
今すぐ手を繋ぐということと、手を繋ぐためにどうする、というのは別の話で、拒絶する人は前者をイメージしているのではないかと思います。
戦いが長引く…私には後退してるように見えます…
Posted by 脱原発系管理人 at 2014年03月21日 21:14
管理人さんのご意見に、凄く賛成なんですが・・・・。私は、自分で気が付きました。
韓流ドラマを見ていて、日本人は直ぐに断罪して、捨てる気風が有るのでは?
でも、社会的に成功している女性の講演で、良い言葉を教えてもらいました。
「どうして?」と言う言葉です。男性社会の中では、オカシイ!!理不尽だ!!と、思うことに遭遇したことも多々あったでしょう。でも、そこで怒らず、相手をダメだと断罪せず、捨てず、
「どうして?」と、聞く。
脱原発は、良いことだと思うから、理解しない奴や共働しない奴を悪と、決めつけてしまいがち。だけど、それぞれ事情はあるのだから、「どうして?」と、優しく聞いたら、会話になる。そしたら、間違いや情報不足を正してあげられて、原発村住人の確信犯以外は、脱原発側にデモはしなくても、シンパシイを感じる人が増えるのではと、思っています。
いかがでしょう。
Posted by みな at 2014年03月24日 22:43
■みなさんへ
コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、「どうして?」は有効だと思います。色んな意味で。
聞く姿勢を見せること、どうしてと聞かれたら理由をはっきりさせないといけなくなること、などなど。
脱原発とそれ以外との対立だけでなく、脱原発内部での対立も同じ構造なのが頭痛いです。同じ目標を掲げているはずなのに。
私、ずっと同じこと言ってるんですけど、誰も噛みついてこないので実践出来ないんですよね〜。どうして?って。
Posted by 脱原発系管理人 at 2014年03月24日 23:18
お会いしたことはないけれど、管理人さんは強く賢そうに見えるのでは?
私は良く噛みつかれます。勝てそうな相手だと認識されているのでは?と推測しています。
だから、噛みついてくるのでしょう。
そして、
私が「どうして?」と聞いても鼻で笑うか威嚇するばかり。相手は格下と、私を見なしているのでしょう。
管理人さんのように強くて賢い人が、「どうして?」と聞くと、威嚇や鼻で笑うで対処することはないでしょう。ですから、意見が異なる人やわだかまっている人に「どうして?」と言うと、効果が有りそうに思います。


Posted by みな at 2014年03月26日 14:21
目的が同じでも人それぞれ理由とか、方向性は当然違うと思います。でも重要なのは、原発をやめる。この一点に尽きます。そこで皆繋がってる。そこに対して、俺の方が…じゃなくて、尊敬を持って接すれば、もっと輪が広まっていくと思います。
Posted by 石田裕 at 2014年03月26日 15:43
■みなさんへ

昔から馬鹿に見られる方が多いですね。こちらから噛みつくと応戦してきますから、手ごわいとは思われてないと思います。よく職質されますし(笑)
最近は、こちらから話しかけても無視されることが多いですね。脱原発活動している人でもそうです。無視は本当に困ります。どうにもできませんから。

■石田裕さんへ

多分、原発をやめる、という一点は同じですよね、って話したらそこについては同意すると思います。しかし、それに向けてのやり方については、自分こそが正しいという考えになってしまうんですよね…
尊敬、本当にそう思います。何度か言ってますが、どんな相手に対しても最低限の敬意を忘れてはならないと思います。
Posted by 脱原発系管理人 at 2014年03月27日 23:24
脱原発みたいな大きなテーマは、サイレントマジョリティーの力が大きいと思います。
運動方針で内ゲバみたいな印象は絶対に避けるべきでしょう。

放射能ヤバいのではないかと、人柱を要求する発電で贅沢していいのか、とかいろいろ感じるとことはあります。
でも、自分の頭に石が落ちてくるまでは、大本営発表はある程度有効でしょう。
他に情報がなければ、自分の頭に爆弾が落ちてきても、なんか変だと思いながらもそのまま死んでいく人もいるでしょう。
西日本の友人に原発の話をしても「そういう事は、偉い人が考える事だから・・・・。」で、話を打ち切られます。
友達を説得する気はないけれど、時々話を振って、私は原発に関心が有る事・福島の事故がまだ終わってないことを伝えています。
原発利権を持っている人たちが、意思決定の場に陣取っているので、マスコミの影響も有るし、直ぐの脱原発は、なかなか大変だとは思います。長期戦と構えて、自分が疲れ果てない程度に、しぶとくサイレントマジョリティーの友人を脱原発にするべく、頑張っていきたいと思います。
Posted by みな at 2014年03月28日 13:24
■みなさんへ

はい。対外的な印象のことも気になります。実際、都知事選のごたごたは反反原発の人たちに笑われてました。
原発には、軍事転用を願う人以外にはメリットないんですけどね、それでもどうして反対と言えないかというと、やはり必要だからあると思っているんでしょう。そんな問題が多いのに使うっていうことは、使わないとどうしようもないんだ、という感じでしょうか。東京に住んでると、いかに電気が有り余っているかを実感できるんですが、「偉い人」が足りないと言ったら足りないと思うんでしょうね。
私は個人的にたまたま出会った境遇などから、こちら側にいますが、本当にたまたまなので、反対側にいた可能性もあったと思っています。自分がどうしてここに立っているか、という視点から考えたいですね。
Posted by 脱原発系管理人 at 2014年03月29日 17:07
反原発の人たちを一同に集める難しさが良く分かります。政治の世界でもちょっとしたイデオロギーの違いで共闘出来なかったりは毎度の事。
大同小異,みんなで力を合わせて脱原発を進めましょう!
Posted by 孫の為に反原発を唱えるじーじ at 2014年07月15日 08:54
■孫の為に反原発を唱えるじーじさんへ

コメントありがとうございます。
みなさん、自分の考えが正しいという自信があるんだなぁ、と感心します。私はそんな自信はないのでね。
大同小異って言うと、「小異じゃない!」って返ってきそうですね…
Posted by 脱原発系管理人 at 2014年07月17日 21:11
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