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2014年07月01日(Tue)

あなたの意見は「絶対的な正解」なのか?

日ごろから気になってるんですけど、集団的自衛権の話題で、よりはっきりと表れた問題があるので書きます。

社会運動をするテーマや運動の手法についてなど、様々な考え方や個々の優先順位があります。人それぞれ境遇も歴史も違うんだから当たり前です。
そして、違う考え方が「間違っている」と思うこともあるでしょう。それを主張するのもいいでしょう。直接意見をぶつけてみてもいいと思います。

しかし、自分の意見こそが「絶対的な正解」であるという"思い込み"が激しすぎやしませんか?

もちろん、正しいと思うから主張するわけですが、それは「自分が正しいと思っている」というだけのことです。他人の意見を聞いたら考え方が変わるかもしれないし、事実関係を勘違いしてるかもしれない。なにを正解とするかの基準も色々ありますしね。

そう、「絶対的な」の部分が問題なのです。

特に日本での社会運動は成功例があまりないので、過去の例から言っても絶対的な正解なんて導き出せないのです。失敗したなら「絶対的な失敗」はある、と思われる方もいるかもしれませんが、状況が全く同じにはなり得ないので、絶対失敗するとも言い切れません。

ここまで読んで誰かを思い浮かべて「そうだそうだ!」と思った人はいますかね。
そういう人こそ気を付けてください。

私は普段から色んな人の声を聴いて思います。他の主張や手法を手厳しく批判したり嘲笑したりしている人は、意見じゃなくて「正解」を振りかざしていることが多いです。

「私は正解を知っている」 という態度です。

そういう態度で別の正解を信じている人に接しても多くの場合、反発を招くだけではないでしょうか?
身に覚えありませんか?

「私は真実を知っている」

なんか最近よく見ますよね、こういうの。
思想に関わらず、思い込みと押し付けの激しさは困りものです。

今、お前もそれをやっているだろ、って突っ込まれそうですね。もちろん、現時点で自分の中では正解だと思って書いてます。
でも違う見方や考え方、あるいは同意。反応を見てみたいから書いてるんです。もし、「絶対的な正解」だと思っていたら、こんなところに書かずに直接文句言って回ります。

posted by 脱原発系管理人 at 23:54 | Comment(7) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前ここの掲示板で若い人が反原発・脱原発デモにあまり参加しないことが話題になりました。
ところが、昨年末の秘密保全法反対デモのあたりから若い人が増え始め、今回の集団的自衛権反対デモでは若い人がかなり中心だったようです。
放射能や原発も若い人にとって切実なはずなんですが、戦争へ行かされる方が切実でわかりやすかったということでしょうか。
こういうデモに若い人が増えるのは「絶対的な正解」ではないでしょうか。
反原発デモはおっさん、おばさんばっかりでうんざりしてたんですが、光が見えた気がしました。
デモに参加する層が増えれば意見が違う人がたくさん出てくるのも当然でしょう。
「絶対的な正解」を求めてしまうのは恐らく参加者が少ない時の悩みなのではないですか。
デモ参加者の層が分厚くなればいろんな人もいるさと気楽に考えればいいと思いました。
Posted by tomo at 2014年07月04日 08:19
■tomoさんへ

コメントありがとうございます。

私は秘密保護法も集団的自衛権もデモ・集会には参加できていないのですが、確かに若い人が多いという話を聞きますね。
原発は少し視点を変えると全然違う問題が出てきたり、言い切れないことも多く、それに比べたら集団的自衛権なんかはわかりやすいですね。

私は「絶対的な正解」は存在しないと思っています。絶対的ということは、どんな立場の人から見ても正解ということです。自分が揺るぎなくこれが正解だと思うことと、誰が見ても正解だということは違います。原発に関しても強く反対はするけどデモは間違った方法だ、という人もいますし。そういう人に「デモに参加することこそが正解」として話しかけたら反発されかねません。

色んな考え方があって意見をぶつけ合うのは良いことだと思います。その時、それぞれ自分は正しいと思うことを話し、同意を求めることもあるでしょう。これはいくらでもやればいいと思います。しかし、私が問題だと言っているのは、「自分の意見はこうだ」ではなく、「これが正解だ」という主張の仕方です。「自分はこれが正解だと思う」ではなく、「(誰が見ても)正解であることは明らかだ」のような感じです。だから平気で馬鹿にしたり嘲笑したりできるんだと思います。
Posted by 脱原発系管理人 at 2014年07月05日 00:04
また投稿させていただきます。
私も「絶対的な正解」は存在しないという意見に賛成です。
ただし、気をつけておきたいことがあります。

我々の社会は311の前までは反原発運動を黙殺してきたという歴史的事実です。
広瀬隆、小出裕章、高木仁三郎と言った人々をカルト宗教信者か何かのように扱ってきました。
つまり、311以前はこれらの人たちは、「(誰が見ても)正解であることは明らかだ」のような感じで反原発を主張し、我々はそのような人たちを頑なで融通が利かない独善的な人々として排除してきました。
311以前、その方たちは反原発の主張に耳を貸さない我々をさぞや馬鹿にしたり嘲笑したりしたことでしょう。
311後、すべてがひっくり返り今に至ります。
私も基本的には、「絶対的な正解」は存在しないというスタンスですが、頑なに「絶対的な正解」を主張している(ように見える)人たちが最終的には正しかったということもありうるんですね。
こんなことは何十年、何百年に1回のことなんでしょうが。
我々は原子力ムラに洗脳されてきたから仕方がないんだとの言い訳もできますが、結果的に「絶対的な正解」を説きなおかつ「絶対的正解」に到達していた人たちを排除してしまっていました。

福島第一原発事故が起こってしまった以上はもう原発や放射能について騙され、洗脳されることは少ないかもしれません。
しかし、原発とは別の事例で、今現在カルト宗教信者のような存在として社会から排除されている人たちが最終的に正しかったんだということもあり得ない話ではないんですね。
私は常にこのことを頭の片隅におくことにしています。
さすがに、今の原子力ムラや安倍政権が最終的に正しかったんだ、ということには未来永劫ならないとは思うのですが。
Posted by tomo at 2014年07月07日 05:19
tomoさんと脱原発系管理人さんへ
 小出氏達は嘲笑などはしてこなかったんじゃないですかね。ただただ悲しかったとは思いますがね。何で分かって貰えないんだろうと思ってはいたと思いますよ。特に小出氏は何度もそう言ってます。
 我々は騙されてきた、というよりも考えてこなかった、と言う方が正解ではないですかね。壊れるとも安全だとも考えず、ただ毎日を送ってきていただけなんです。
 しかし集団的自衛権容認と解釈改憲は、今目の前の現実なんです。そして自分の未来を変えてしまう危険の匂いを発しているんだと思います。放射能は匂いも見る事もできませんが、戦争は今も何所かで行われており、漫画やテレビ・映画で見る事ができます。ですから若者にも現実として想像が出来るのでしょう。そこには正解が描かれているんですね。人の死と愛の剥奪。これらを匂いとして感じさせる世界がいたる所に有るのですから、どんな人でも実感が湧くんだと思いますよ。
Posted by 武尊43 at 2014年07月08日 04:12
■tomoさんへ


>広瀬隆、小出裕章、高木仁三郎と言った人々をカルト宗教信者か何かのように扱ってきました。

そうなんですかね。ほとんどの人が存在すら知らなかったんじゃないかな〜、と思っています。広瀬隆さんはちょっと知られてたと思うけど。

>つまり、311以前はこれらの人たちは、「(誰が見ても)正解であることは明らかだ」のような感じで反原発を主張し、我々はそのような人たちを頑なで融通が利かない独善的な人々として排除してきました。

我々は、と言われましても…
強烈に直接的に排除する人がいたこともあって、多くの人に知られることがなかったのではないかと私は思っています。


>311以前、その方たちは反原発の主張に耳を貸さない我々をさぞや馬鹿にしたり嘲笑したりしたことでしょう。

私は彼らの言葉からはそういう感じを全く受けません。
専門家や直接的に原発推進に関わっている人に対して強い言葉を使うことはあっても、解ってない人たちを見下すような態度ではないからこそ支持されているんだと思います。

>私も基本的には、「絶対的な正解」は存在しないというスタンスですが、頑なに「絶対的な正解」を主張している(ように見える)人たちが最終的には正しかったということもありうるんですね。

絶対的な正解を主張しているように見える人たちが後で正しかったことがわかったとしても、その前に受け入れられなければ意味がないので、いくら自信があっても人々に聞いてもらえるように話すことが必要だというのが私の言い分です。
そして私には、彼らが絶対的な正解を語っているようには見えません。

>我々は原子力ムラに洗脳されてきたから仕方がないんだとの言い訳もできますが、結果的に「絶対的な正解」を説きなおかつ「絶対的正解」に到達していた人たちを排除してしまっていました。

「結果的に正解」と「絶対的な正解」は全く違うものです。
彼らは「いつどこでどんな事故が起こるか知っている」と訴えていたわけではありません。もちろん、詳細を抜きにして、例え「必ず起こります」と言っていたとしてもそれは予測でしかありません。
もしも、そのような言い方で、未来予知をしているかのように受け取った人がいたとしたら聞き方が悪いと同時に、そのような聞き方をする人に正確に伝える力が足りなかったということです。発信側の努力で受信側を変えることは難しいので、発信側が自分の主張が正確に伝わる努力をしなければならないのです。

>福島第一原発事故が起こってしまった以上はもう原発や放射能について騙され、洗脳されることは少ないかもしれません。

洗脳されてる人は自分が洗脳されてると思わないんで、安心しないようにしたいですね。


>しかし、原発とは別の事例で、今現在カルト宗教信者のような存在として社会から排除されている人たちが最終的に正しかったんだということもあり得ない話ではないんですね。

そうですね。今、社会的に認められてることの多くに、最初は気が狂ってると思われたり陰謀論だと言われてきたものが沢山ありますからね。
あとこれは考え方にもよりますが、私は最終的に正しいかどうか、というのも多くの場合は人間が正しいと「決めている」だけだと思っています。何が正しいかがわかるというより、何を正しいとする社会を作るか、という考え方も必要だと思います。何が犯罪になるかが国によって違うくらいですし。
原発を今後も使っていくという考えそのものが間違っているわけではないんです。事実を知った上で納得して原発推進という道もあってもいいわけです。どういう社会にしたいかということで戦っているんです。


>さすがに、今の原子力ムラや安倍政権が最終的に正しかったんだ、ということには未来永劫ならないとは思うのですが。

反対意見の人が全員死んだらそうなりますね。

tomoさんはどこかに答えがあると思っていらっしゃるようですね。これは本当に個々の考え方の問題なのですが、私はどこにも答えはないと思っています。人間が判断することには。


■武尊43さんへ

コメントありがとうございます。


>小出氏達は嘲笑などはしてこなかったんじゃないですかね。ただただ悲しかったとは思いますがね。何で分かって貰えないんだろうと思ってはいたと思いますよ。特に小出氏は何度もそう言ってます。

私もそう思います。小出さんが原発に反対の声を上げ始めた時は確か3基しかなかったんですよね…。
小出さんは、確かなこととそうでないことをはっきり区別して話すので、全く煽るようなことはないんですけどね、現在、反原発活動をしている人にさえ正しく伝わっていないと思います。

>我々は騙されてきた、というよりも考えてこなかった、と言う方が正解ではないですかね。壊れるとも安全だとも考えず、ただ毎日を送ってきていただけなんです。

個人差が激しくあると思いますが、特に関心を持たなかったか、その機会もなかったというのが多いんじゃないかと想像します。私は、チェルノブイリ事故で原発の存在と危険性を知りました。日本の原発は安全というのは構造的に有りえないと思っていました。それでも活動しなかったので、最も罪深い存在かもしれません。デモが行われていることも知らなかったですけど。ネットがあってもデモを探すのに苦労するくらいなので、たまたま人脈などがないとどうしようもないのかもしれません。

>しかし集団的自衛権容認と解釈改憲は、今目の前の現実なんです。そして自分の未来を変えてしまう危険の匂いを発しているんだと思います。

問題は他にも様々あって、明日の生活に不安を抱えている人は、未来のことなど考えられないんですよね。かと言って、憲法解釈変更の問題を放置するわけにもいかない。自分に直接的に関わらない問題にまで興味を持つ、ということが今の日本には足りてないと思います。

>放射能は匂いも見る事もできませんが、戦争は今も何所かで行われており、漫画やテレビ・映画で見る事ができます。ですから若者にも現実として想像が出来るのでしょう。

一方で、実感のない別世界の出来事として受け止める人も多いですね。どういう理由かはわからないけど、戦争に行きたいと言う若者までいます。

>そこには正解が描かれているんですね。人の死と愛の剥奪。これらを匂いとして感じさせる世界がいたる所に有るのですから、どんな人でも実感が湧くんだと思いますよ。

正解?どういうことでしょうか。事実という意味ですか?
正直、映像などで見ている人は、あまり実感が湧いてない人が多いと思っています。私は映画が大好きで、他人の感想も見るんですが、最近は表面しか見てない人が凄く多いです。例えば社会問題を鋭くえぐったようなサスペンス作品を見ても、サスペンスとしでどうかということしか見ていなかったり。
Posted by 脱原発系管理人 at 2014年07月08日 23:16
絶対なんてあんまり言うものでない。複雑な社会現象は是非は反転すること多し。時、場所、言った人、設問の前提によって変化する。詭弁、詐欺師はそのトリックに知恵を絞る。善意のうっかり者は善悪は普遍的なものばかりとうっかりする。事実と真実は違う。事実は1つ。真実は人の数だけありうる。事実と真実が混ざると騙される。それを見極めるのは難儀。ギャンブルのようなもの。試行錯誤。騙されたり、失敗を重ねて賢くなりたい。リスクを減らしたり、回復力を残しておきたい。
Posted by 浅田益章 at 2016年03月08日 18:06
■浅田益章さんへ
コメントありがとうございます。
そうですね。私もだいたいそう思います。
ただ、真実は人の数だけある、というのだけは私にはわかりません。以前からわからないと思ってて今回改めていくつかの意見を見てみましたが、納得いきません。逆に、真実はひとつだが事実はいくつもある、と言っている人もいます。
私はこの考え方は、客観的事実からはどうしても悪とされてしまう人が自分を正当化するために編み出した考え方ではないかと思っています。うまく説明できないので引き続き研究してみます。
Posted by 脱原発系管理人 at 2016年03月09日 22:17
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